先日、北辰会の勉強会に参加してきました。
午前中は診療だったので、
12時過ぎまで働いて、
急ぎ、会場入りしたわけです。
なんとか間に合いました (^_^;

この日、
代表の藤本蓮風先生がここ最近業界に、
或いは世間に伝えられている
“魂”について、
第一線で活躍されている門弟の先生方と話す機会がございましたので、
いろいろと質問して参りました。


表現にある魂の一字の中、
広義と狭義の魂が
表現の中にいったり来たりしていること。
(広義の魂、狭義の魂をきちんと勉学上分離して考えられることを条件にし、
狭義の肝魂の説明を展開しすり替えられることは避けたい )
そのように見受けられるが、
その解釈は正しいのかどうか。
或いは、その意図はなんなのか。

●形而上の働きについて、
なんと表現していいのか困りますが、
内観してあらわれる仏性のようなそれ
外観してあらわれるすべてを包括する働きを
魂と表現する意味があるのか。
或いは、その解釈自体に語弊があるのか。
また、そうであれば
それを表す言葉に 敢えて、
五神の一つに配置され肝に宿るとされる
魂というものを用いる必要があるのか。


陰陽分かたれる、
物質と形を持たない
二面の世界に制約される前のはたらきに対して、
また、そもそも、
形而上のものであり、
無形の、
(有形、無形の概念がないので、
無形という表現はおかしいですが、、。
無形でも有形でもないです。またどちらでもあります。 そういう概念がないです。)
名状しがたき、その働きや慈しみに対して
名をつける意味があるのかどうか。
そして、
それと関わりと他者に伝える手段については、
祈り続ける、
業として刻み続ける一法でしか表現はないのではなかろうか、
そもそも、言葉や文字に残すことが許される場所ではないのではなかろうか。
という疑問。


形而下において、
表現として狭義の魂を用いている場所。
五行の制約を受ける場所、
そして、弁証すべき場所においては、
肝魂、心神の二つをとりわけ重視して、
登場するように見えるが、
臨床における弁証と同じくして、
五神(学術的広義の神が入りましてややこしいですね、すいません)
とそれ以外の精神活動も弁じ、
精神活動領域における正邪、虚実を、
肝・心の二字ではなく、
他の意・志・魄なども並列に用いて
精神活動内においてであっても同様に、
弁じ尽くされるべきではないか。
心の活動が必ずしも肝 心の二者に帰却しないのではないか。
という疑問。

これらを素朴にぶつけて来ました。


我流で進んでばかりで、
北辰会で示すような思考方法が不慣れですので、
僕なりの疑問をぶつけましたが、
本心交え、お答え頂いたことはとても勉強になりました。
また、そこで新たに感じた疑問に対して、
すべてが釈然としたわけではありませんので、
自分なりに考えを尽くしたいと思います。

しかし、そもそも、
質問するには何度も何度も
目を通して、それで生じたものをぶつけるのが筋でしょうが、
それもせず、良い機会だとばかりに、
今回は、頭にある生ものの考えを浅はかながら
はき出してしまいました。
そんなものに対して真剣に対応してくれた先生方に感謝したいです。

僕は、一つの問いに対しても、
そこで出た仮説を
自分の中でなんども検証する作業が
少なくとも5年はかかります。
不器用なこったです。
一番楽しい作業ですが。
妄想癖はいつまでも終わらない。

帰宅し、ちょこっと寝て
数時間後にはこんな場所にいました。
もう、バテバテでした(^_^;

山に入る
山に入る
山に入る2
山に入る2

4 コメント

    • 有先生、
      特定されないように
      ぼんやり書いたのに早速
      反応されましたね(笑)
      是非、これからも
      どんぱちやりましょう。

  1. この魂についてのコメントが蓮風先生の目に止まりますように。先生は熱のある青年鍼師の為に、真剣にお応え下さると思いますよ。でも直接ぶつけないとお返事は無いかもね。

    何事も人によって受け止め方の浅深、角度の違い等々がありますから、私も勉強させて頂きたいです。

    それにしても、こんな質問ぶつけてたんだ(笑)

    • 質問するもなにも、
      僕みたいに幽霊みたいに
      ふら〜っと現れて
      ふら〜っとまた姿をくらます
      人間が質問する権利なんかありませんよ☆
      好き勝手なことばっかりやってるんだから。
      そんな間にも、皆さんはああやって
      組織として活動されてるんですから、
      頭あがりません(_ _)
      僕は責任持って自問自答し続けます。
      そもそも、
      質問しておいてあれですが、
      答えが欲しくてやってるわけではなくて、
      皆さんの口からどんな言葉が
      出るか楽しみでやってるわけです。
      みんながどう思ってるかを訊ねたかっただけです。
      有先生とも、MICHIYO先生とも○先生とも△先生とも
      場合によっては喧嘩したくてやってるわけです(笑)
      答えはお山と臨床で探しますよ☆
      何年もかけて。
      誰かが答えを持っていても、
      聞きたくはないです。
      答えを探す旅を失いますので。
      そんなの、もったいない。
      答えへの近道なんて、
      タダでもいらんです。

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